ここ数年の大幅な円安の原因となる一方、8月上旬の市場大混乱の背景にもなったのが、ヘッジファンドなど海外投機筋の円キャリー取引だった。今やその巻き戻しが進んだとされ、本格再開の様子も見えない点は「安心材料」だ。
だが、一方でもう一つの円キャリー取引に注意を払った方がよくなってきた。外国為替証拠金取引(FX)を手掛ける日本の個人投資家(通称、ミセス・ワタナベ)のそれだ。将来、円高に拍車をかける「地雷」を増やすかもしれないのだ。
円キャリーとは低利で調達した円を売って高金利のドルなどに投資する取引。円と外貨の金利差収入と為替差益の一挙両得を狙って手掛ける。少し前まで海外投機筋の円キャリー取引が膨らんでいた。背景は、米連邦準備理事会(FRB)が大幅な利上げを進めてきた一方、日銀は緩和的な金融環境を維持し、日米の金利差が広がっていたことだ。
投機筋の円キャリーは巻き戻されたが
今夏に、この取引の巻き戻しが進んだもようだ。米景気の後退懸念でFRBが大幅な利下げを決めるとの見方がいったん増える一方、日銀は7月末の利上げ決定時に追加利上げに前のめりな印象を与える情報発信をしたためだ。キャリー巻き戻しに伴う円買いで円高が急速に進行。8月5日に日経平均株価が過去最大の下落幅を記録した。
その後、円売り・ドル買いのキャリー再開の有無が注目されたが、米商品先物取引委員会(CFTC)集計の投機筋(非商業部門)のポジション(毎週火曜日時点)を見る限り、本格再開の様子は見て取れない。円売りのポジションは円買いのそれより小さくなり、円売りの比率は5割を下回っているのだ。だが、実はFXは逆の動きをしている。円売り・ドル買いに傾いている。
FXは、証拠金を預けるとその最大25倍の外貨売買(円売り・外貨買いなど)ができる仕組み。一種のキャリー取引だ。
「逆張り」のFX投資家が円売りに傾く
過去1カ月半くらいについて、筆者が毎週水曜日時点で集計しているFX業者4社(GMOクリック証券、外為どっとコム、セントラル短資FX、マネーパートナーズ)合計のドル円ポジションを見てみよう。
円相場が1ドル=161円台まで下落していた7月10日時点で円買い・ドル売りの方が多い円の買い越しだったが、その後売り越しに転換。ドル円ポジション全体に占める円売りの比率も一時6割を超え、8月28日時点で5割台後半だ。ドル買越幅の方を見ると、いったん20億ドルを超え、足元でも10億ドル程度だ。
海外投機筋と対照的に、FX投資家の円キャリーが増加傾向になる現象。そこには理由がある。前者は市場の流れに乗る「順張り」を好むのに対して、後者は市場と反対の動きをする「逆張り」を得意とする点だ。過去1カ月半程度の円相場の上昇基調を受け、FX投資家が逆張り的に円キャリーに傾く構図だ。
ミセス・ワタナベの取引額は年間1京円
FXの影響力は侮れない。年間取引額(金融先物取引業協会調べ)は実に1京円を超える。すべてが銀行間市場に出てくるわけではないが、2022年4月時点で、国内市場の全スポット取引に占める「個人投資家関連取引」の割合は約2割に達していたとも指摘される(日銀のリポート)。
もちろん、ミセス・ワタナベの逆張りの行動自体は足元で円買い圧力を抑える効果を持つ。問題は、将来何らかの理由で大きく円高が進むと、ダムが決壊するかのようにポジション解消が加速し、かえって円相場上昇に拍車をかけやすい点だ。
その理由としては、投資家が損失確定の注文を出すこともあるが、もっと大きいのは、一定の含み損をかかえた場合に自動的に反対売買するロスカットという仕組みがある点だ。円高がある程度進むと、地雷が爆発するかのようにロスカットが発動される。
リーマン・ショック、東日本大震災、英国の欧州連合(EU)離脱決定といった円高を伴う市場混乱時には、ロスカットが増えやすかったとされる。しかも、そうした「円高地雷」を爆発させるべく、海外投機筋があえて円買いを仕掛けるとの説もある。いわゆるミセス・ワタナベ狩り(ミセス・ワタナベ・ハンティング)と呼ばれる手法だ。
米景気後退ならロスカット発動で円高拍車も
日銀の利上げ開始に続いて、今後米国は利下げを始めるだろう。当面、金利面から円買い圧力がかかりやすくなる。とはいえ日銀の利上げ幅には限度がありそうだし、米景気の後退が回避されるなら米利下げも大幅なものになりにくい。日本の国際収支も円高圧力をかけにくい形に変わっている。あまり大幅な円相場上昇はないという見方は少なくないだろう。だからこそ、ミセス・ワタナベは逆張りの円売りをするのかもしれない。
ただし、米景気が本当に後退に陥らないのかには不確実性もある。円相場上昇に伴うFXの逆張りの円売りがさらに膨らむなら、いずれロスカットによる「円高地雷」が爆発する展開にならないか。注意しておきたい。